ポガティブ

高尚で正しいことは一切書かんよ

林檎もぎれビーム!

私のコミュニケーションは

0⇒1でなければ1⇒100でもなく、1⇒1でしかない。


目の前で起きた・聞いたことに対して投げる「語彙の引き出しを開けるスピードが早い方」、というだけで、創造性や生産性がない能無しだと思っている(これについて悲観していない)
 
それでも仕事や恋愛、人間関係の相談を受けると
 
「何でそんなに私のことが分かるの!?」と目をきらきらさせて感激する人がいる。
ついでに「マルチとか新興宗教やりなよ!」と不名誉な推薦がある(ふざけるな)
 


恐らく、私に"人心掌握の心得的なもの"を認めての無遠慮な誉め言葉、という認識で間違いないけど、
 
そんな心得あるわけがないだろ私に あったらもっと人間嫌いになってるわ
 
 
「何かスゴイやつ」という賞賛は正直満更でなくとも、不当な評価への居心地の悪さからはどう足掻いても逃げ切れない。
 
全くすごくなくね?
 
私との会話に新規性があると感じたなら大いな勘違いで、
「真実を見抜く頭の切れるスゴイやつ」みたいな肉付けをされると、何か具合が悪くて
大槻ケンヂと絶望少女達の『林檎もぎれビーム!の歌詞の一節をよく思い出す。

 

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「君の 孤独
わかってるよな
すごい 話に 出会っても
すぐに 神と 思っちゃダメさ
マニュアルではめてるだけかもよ」
 
詐欺師然とマニュアルにはめて会話をしたつもりは一度もないけど、
周りが見出している私の性質は何か詐欺師めいたもののような気がして、
でもその場で否定してもただのつまらん謙遜にしか聞こえないので、ああああ~~
 
私が発したただの言葉で、あとは相手が勝手にアハ体験に到達している。
そういった状況がとにかくむず痒い。
 

 


こうして達観した体でいるが、
こんな自分が一番「すぐに神と思っちゃうやつ」だと思っている。
 
私の居心地の悪さは「誰も分かってくれない!本当の私を見て欲しい!」という

陳腐な孤独感・承認欲求から来ていると思っていて、
 
そんな状態で「私の孤独をわかってるよなすごい話に出会ったら」?
普通に神だと思っちゃうよ。
 
そんな自分の危うさを実感した経験が最近あって、
 


ある面談の最中に、私の性格のルーツ・考え方についてかなり深堀された。
「すんごい掘るやん」と面食らってしまい、用意してないところにまで言及されたあたりでかなりしどろもどろしていた。
この場でどこまで言っていいの?今この質問で何を求められてるの?と余計な考えが頭を逡巡した結果、グダグダと要領の得ないことを言って最後に「まあ、多分ひねくれてるんです」と付け加えた。あー言わなきゃよかった、と思った。
 
相手は少しだけ黙って考えた後に、「〇〇さんは、自分のことを許せないんですねえ」と言った。
 
その瞬間、ブワッ!と満足感・喜びみたいな衝撃が走った。
これが「自分が理解された」という快感だろう。幸せ物質を頭で理解する前に涙が出そうになった。
 
私のことを達観して分類した上で、同情も侮蔑もしない。
フラットに「自分を許せない人」という肩書を与えられたことに、無類の感激を受けていた。
 
そして、
「こんな一瞬で私のことを分かってしまうなんて、なんて頭が良くて素晴らしい人なんだ~!!」と思ってしまった。
 
ああ、これか~!
周りがあんなに感激して喜んでいたのはこの感覚か
達観してカテゴライズされると、居場所を与えられたような気持ちになるのか
確かにこれは気持ちいいし、カテゴライズしてくれた人が神様的に見えてしまう感覚も納得いった。相手はただ感想を言っただけだろうけどね
 
占いにハマる人の気持ちが少しわかった気がする。

「他人から達観された記憶」が印象に残っている。


「君は思想的な人間」と言われたこと、

「お母さんのことが大好きなんですね」と言われたこと、

先述の面談で「自分を許せないんですね」「何に怯えてるんです?」と言われたこと。
 


自覚のなかった図星を突かれると、気まずさと快感が同時に湧く。
 
多分、私も勝手に私を分かってほしいと願っていて、
誰にも知った顔をされたくないと思いつつ、理解・迎合されることを切望している。
 
相変わらず私のコミュニケーションに生産性はないけど、
事実を言語化されることで救われる人がいるならそれはそれで良いもんか、と思えた。

 
「それが愛のお仕事 そしてマニュアルなの」
 
 
さて違和感に諦めがついたところで、そろそろピンタレストでショーン・メンデスの画像をカテゴライズする作業に戻ります。